東京・武蔵野の地に60余年のクリスチャン大学生の学生寮。 大学生活の拠点が、クリスチャンとしての訓練の場、成長の場。
草創期のティラナス主催の夏期伝道旅行、その集会の様子だと思われます。当時の大学生って、こんな感じだったんですねえ。
キリスト教学の講義を受け持つコーウィン先生。1973年の夏期伝道旅行先にて。講壇の上に置かれた扇風機が時代を感じさせます。
東京クリスチャン学寮であった頃の建物の姿が絵に描かれたホール生募集ポスター。男子のみ・2人部屋・合計26名であったこと、西東京市の前は保谷市と呼ばれていたことなどがわかります。そして寮費は月額11,000円!
暮れなずむ秋の季節でしょうか。1970年頃の学寮の建物はこんな感じでした。その前にたたずむふたりのホール生。手に抱えているのはもしかして聖書?
旧ホールができて間もない1968年。食堂のテーブルがめっちゃ小さい!(笑) こうやって日ごとに食卓を囲み、わいわい語り明かしながら共に暮らしました。この写真の中にはやがて牧師になった人も。厨房で微笑んでいるのは寮母の木藤光子さんです。
顔じゅうをホイップクリームだらけにして笑い興じるホール生たち。1987年、入ホール生歓迎会のひとこまです。ティラナス伝統の手荒い「SHIGOKI」? (笑)
1992年、八ヶ岳連峰最高峰の赤岳(標高2899m)に登頂を果たしたガテンなホール生たち。「へっ、こんなの、余裕だぜ」の涼しい表情が若さとエネルギーを感じさせます。
1992年の卒ホール式あとの祝賀会。手尽くしの料理を堪能し、スーツ姿で讃美歌を歌って、やがてここを巣立っていきます。
1993年のティラナスの「母」に捧げる「母の日」メニュー。「男の愛情特選カレー」「男の素手の触れ合いスペシャル・サラダ」と「男」がやたらと強調されています。ルビが「をとこ」であることにも注目。
秦 大興主事時代(1987年~2002年)のホール生たち。今、見ているこちらが少し気恥ずかしくなってうつむいてしまいそうなほどの、〈ど〉真ん中な、〈ど〉ストライクな、〈ど〉青春の、輝かしい群像!
この落ち着いた色調とデザインでまとめられた建物が3棟ほど並んでいます。お問い合わせの上、お気軽にお訪ねください。
いちばん東側に建てられているホールB。2階建ての寮で、石神井川の河原や武蔵野の広々した景色が眺められます。
東京ティラナスホールの中の「ホール」と言えば…。清潔で広々としており、明るい採光で心も弾む。エクササイズをはじめ、多目的に使いこなします。
毎日朝晩の食事はここでみんなで一緒にいただきます。備え付けのピアノもあり、さらに楽器を持ち込めば即席のコンサート会場に早変わり。
ここにいれば誰かと話すきっかけが生まれる。小さいけれどなくてはならぬ、ホール生の大切な居場所です。
個室でプライバシーが保たれていますが、結局誰かの部屋に集まっての青春談義は尽きることなく…。モノを溜め込まず、清潔でこざっぱりとしたシンプルな暮らしを実践する訓練の場ともなっています。
木目調で明るくまとめられた厨房。スタッフだけでなくホール生たちも積極的に使いこなしています。
清潔な洗面化粧台・トイレ・シャワールームが男女それぞれに設けられています。
今年も新しいホール生を迎える季節が訪れました。メンバー全員がスーツ姿の正装で体育館での式に臨み、祈りと讃美で心から歓迎します。
ティラナス周辺には緑豊かで広々とした公園が数多く点在しています。今年はどこの公園でお花見をしようかと贅沢にも迷うほどです。
5月の「母の日」には、いつも美味しい食事と優しい笑顔で私たちを支えてくれる“ティラナスの母”、光代さんにホール生からの手作り料理と感謝の記念品が贈られます。
ティラナスでは、必須の夏期伝道旅行の他にも、世界の宣教の最前線を訪問して現地で学び、親交を深める海外研修旅行も自発的に計画されます。写真はネパールを訪問した時のもの。ナマステ~!
秋のレクリエーションとして東京近郊でのハイキングを楽しむホール生たち。アスレチックフィールドで目いっぱい身体を動かしたあとは、静かにクールダウン。野山の自然をゆったりと満喫します。
「なんでも挑戦、自分でできるようになる」がティラナス主義。ここで住み暮らせば、生活能力もグンと向上します。男子も炊事、洗濯、裁縫、掃除と生きていくためのわざを身につけます。
きょうは恒例の大掃除の日、女子部隊もやる気を見せて張り切っています。ひとりだとたそがれてしまいそうな作業も、仲間の歓声の中だとスイスイ進みます。
現在はおもにオンラインで開催されているレイマンスクールで、スクリーンに映し出された講師の話に聴き入るホール生たち。現代的で魅力的なテーマと核心に迫る内容にぐいぐい引き込まれていきます。
ティラナスで祝うクリスマス会。この時はバイオリンを弾けるホール生が複数いたので、さっそく器楽デュエット。聖夜を心から言祝ぎ、一年の歩みを静かに振り返ります。
在籍するそれぞれの大学での学位修了と同時に、住み慣れたティラナスを巣立つ日も訪れます。ティラナスでの卒ホール式を執り行ない、後輩から卒ホール生へ記念品が手渡されます。
今から5,000~4,000年も前、縄文時代中期の大規模な環状集落跡が大量の土器と共に発見され、現在は公園になっています。竪穴住居骨格が復元されてモニュメントに。ティラナスから歩いていちばん近い緑地です。
東京都心の「新宿」から埼玉県の歴史ある観光地「川越」までを結んでいる西武鉄道の路線で、プロ野球、西武ライオンズの、あのSEIBUです。ティラナスの最寄り駅、「東伏見駅」は路線図のちょうど真ん中あたり。
西武新宿線の準急、各駅停車が利用できる、こじんまりとした駅がティラナスの最寄りです。南口階段を降りると、スケートリンクのあるダイドードリンコアイスアリーナ、早稲田大学東伏見キャンパスなどが目に入ります。
ティラナスの建物の眼下を流れる石神井川。小金井公園の湧き水が水源地となっています。涸れ川になったり、梅雨時は大幅に増水して激しく流れたり、を繰り返しますが、川沿いに綺麗な遊歩道が整備され、ウォーキングにも最適です。
東伏見駅から徒歩5分の、ひょうたん型の細長い富士見池を取り囲んだ緑豊かな公園で、春は桜の花見に大勢の人々が訪れます。ボート遊びもできる設備が整っています。
こちらもティラナスから歩いて行ける距離の、見晴らしが良く、とっても広大な丘の公園で、現在も造園が進んでいます。長いローラー滑り台、健康遊具、西武線の電車が見下ろせる跨線橋やウッドデッキはホール生も要チェック!
広さではこちらも負けていません(ちょっとだけ負けているけど)。隣接する武蔵野市にある、だだっ広い原っぱで有名な公園で、運動場も完備。もともとは中島飛行機の工場跡地でした。なるほど、それでか!
武蔵野市と三鷹市にまたがっている100年以上の歴史を持つ都立公園で「恩賜(おんし)」とはもともと宮内省の御料地であったことを表しています。桜の名所として有名。この井の頭池を源として都心へ流れるのが神田川。隣接する井の頭自然文化園には小さいながら動物園や遊園地もあります。
JR中央線の駅で、デパートやおしゃれな有名店が軒を連ねる、賑わいある商業エリアが駅周辺に広がっています。吉祥寺という名のお寺は実はここではなくて文京区駒込にある、というのにも興味深い謂れがあります。ホール生もお買い物といえばこの吉祥寺!
JR中央線の特別快速電車が停車する、アクセスの便利な駅。駅前には生活雑貨を買い揃えられる庶民感覚の商店街が広がります。駅の南口広場から「風の散歩道」を通って井の頭恩賜公園までウォーキングすれば、自然豊かな武蔵野の四季の移り変わりをゆったり満喫することができます。
玉川上水という、江戸時代に玉川兄弟によって作られた用水路沿いに作られた遊歩道で、三鷹駅と井の頭恩賜公園を結んでいます。太宰治ゆかりの場所としても知られ、途中、瀟洒な洋館づくりの山本有三記念館もあり、そのまま進めば三鷹の森ジブリ美術館まで歩いていけます。
大正12年に作られた多摩湖と武蔵野市の境浄水場を結ぶ水道施設。今は周辺がベルト状に緑化され、サイクリングロード(通称、小平グリーンロード)として地元の人々に愛されてきました。春は見事な桜のトンネルが出現する、その豊かな植栽も見どころ。歩行者専用の幅広い遊歩道も別に完備されているのに、自転車道も「歩行者優先」と決められているのは武蔵野七不思議のひとつ !
80ヘクタールもの広さは都立公園としては最大規模。園内には体育館、野外アスレチック施設やスケートボード・コート、バーベキュー設備、それに(ホール生にはおそらく関係ないけれど…)ドッグラン広場まであります。園の一角にある江戸東京たてもの園ではかつての東京の旧い町並みが精緻に再現されており、タイムスリップの旅へといざなってくれます。
1654年に完成した江戸時代の水道施設で、羽村から四谷までの42キロを結んでいました。写真の通り草木に覆われた中にわずかな水の流れが保たれていますが、当時はここだけが人工的に明るく切り拓かれた場所で、昼なお暗き鬱蒼たる雑木林がすぐ両脇まで迫っていたはずです。今ではそれが逆転し、武蔵野の森の面影を伝える貴重な緑道となっています。